事業開発
清田 翔吾
1994年生まれ、熊本県出身。防衛大学校建設環境工学科卒業後、陸上自衛隊へ入隊。施設小隊長として30名の部下のマネジメント、訓練計画の作成や実施、新入隊員の教育、大学院への留学、R&D部門を経験する。その後、メガベンチャーで健康経営に関する法人営業に従事した。
互いに切磋琢磨しながら、
熱い気持ちを持った人たちと、
大きな夢を追いかけたい。
価値を社会に提供できる人間へと
なぜ、陸上自衛隊幹部への道から、民間企業への転職を決めたのでしょうか?
私は防衛大学校卒業後、周囲の上司や先輩たちにも恵まれ、幹部自衛官になるための教育機関で330名中の上位10%以内の成績を収めていました。その後の職種学校でも30名中2位と、傍から見ると、いわゆる幹部自衛官への出世街道を歩み始めていました。
しかし、自分の能力と周りの評価とのギャップや、年功序列や時代の変化への対応スピードへの違和感から、このままこの組織に居続けることが果たして正解なのかと煩悶する日々を送っていました。
そのような心境のなかで、大学院時代の恩師の社会課題に取り組む姿に憧れ、時代に即応するビジネスの世界で成長し、自分にしか生み出せない価値を社会に提供できる人間になりたいという思いから民間への転職を決意しました。
民間ではメガベンチャーで、企業の健康経営に関する法人営業を1年間やっていました。その会社では、これまでの営業マンのなかで最速のクローザー(契約までに至る人間)となり、入社から2カ月後には1人で商談に行けるまでになりました。
自ら思い描く理想像に近づくために
Ballistaにジョインするきっかけは何だったのでしょうか?
中川代表とは防衛大学校時代からの繋がりで、中川が4年生で私が2年生、さまざまな指導を受けながら、全寮制の学生舎の同じ部屋で4カ月間生活をともにしておりました
卒業後、8年ぶりに中川と再会しましたが、そのときBallistaへの参加を打診されました。中川は昔と変わらず、頭がとても切れる先輩という感じでした
そして、中川と話をしているなかで、起業に対する熱い想いや理念に共感して、この環境でなら自分ももっと成長ができて、思い描いている自分の理想像に近づけると思いました。その場で参画を決意して、次の日には当時の職場へ転職する旨を伝えました。
個人の仕事の価値が社会に認められる
実際に仕事をしてみて、Ballistaならではのやりがいや面白さとは何だと思いますか?
スタートアップで働くことの醍醐味は、事業の成長を身をもって体感できることや、会社の風土を自分たちでつくることができることだと思っています。もちろん、仕事で挙げた成果に比例して、報酬が上がっていくことも魅力のひとつであると思います。
Ballistaは、新しい価値観や世界観を普及させるというミッションを掲げています。それを実装する過程で自分の仕事の価値が社会に認められる、これが大きなやりがいに繋がることが魅力だと思っています。それと、スタートアップの立ち上げや成長期に得られる経験は、今後の自分のキャリアや人生において貴重なものとなるでしょう。
Ballistaの前に働いていたメガベンチャーとの違いはありますか?
意思決定のスピードが早いこと、個人の仕事の成果がダイレクトに会社の存続に関わってくること、個人の裁量や責任や仕事の幅が大きいことなどが挙げられると思います。
仕事にコミットするぶんだけ自分や事業の成長につながり、やり遂げたときの達成感、事業が収益化されたときの感動など、大きなもたらすものがあると考えています。当初の時期はハードワークが続くかもしれませんが、それを乗り越えた先にはメガベンチャーで働く人とは異なる世界が拓けると信じています
熱い気持ちを持った仲間と大きな夢を
Ballistaで働くメンバーとは、今後はどうしていきたいと考えていますか?
中川代表は防衛大学校時代からの先輩であり、在学当時に交流はなかったもののBallistaのメンバーでコンサルタントの飯島篤、小松崎賢也も後輩です。かつて同じ学びの場所で過ごした仲間が、それぞれの道を進み、そしてまた同じ職場で働けることは純粋に嬉しく思います。
立場や仕事内容は違いますが、Ballistaの理念に共感してプロフェッショナルとして参画しているメンバーや、これから入社してくる人たちと一緒に新しい世界観を構築していけると思うと、とても頼もしくもあります。自分もプロフェッショナルとしての自覚を持って仕事に臨まねばと身が引き締まる思いです。
これからも互いに切磋琢磨しながら、厳しくも温かいBallistaの風土をつくっていきたいと考えています。もっと成長したい、何かをやり遂げたい、社会にインパクトを与えたいと強く熱い気持ちを持った人たちと大きな夢を追いかけたいです!